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ひっそり書店のブログです。 布乃伊の機嫌を損ねる場合があるので、誹謗中傷、小説等の紹介はなるべく避けてください。
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以前から勉強は嫌いだったけど、最近それが特に強く現れるようになった。
一応受験生だから勉強してるにはしてるけど、だんだん勉強時間が減ってきている。さらに集中力も落ちてきている。そして授業中はどうしても眠らずにはいられない(大して眠くなくても)。
大好きな食べ物でも毎日食べれば飽きる。これが嫌いなものだったらもっと嫌いになる。早く解放されたくて仕方がない。
元々、勉強に嫌気が差したらノートを床に叩きつけるようなことも多かったし、最近は「勉強しなくてもいいのなら受験なんてやめようかな」とすらも思うようになってきた。そもそも、大学に受かる可能性は限りなくゼロに近いと思っている。どこを受けようと、だ。たとえ日本最低レベルの大学を受けたとしても、だ。受験した時に答案を白紙で出しそうな気がする。あまりにもやる気が出なくて。
正直矢神は、(精神的な意味で)最低レベルの人間だと思っている。何がどうなろうと知ったことじゃない。あいつは気にいらない、こいつは大嫌い、何故他人と協力しなきゃならないんだ。勉強したってそれが自分のどこにどんなプラスがあるというんだ。くだらない。本当にくだらない。
そういえば倫理の授業で"デカルト"という人物が出てきた。「我思う、ゆえに我あり」と言った人だが、この人は「この世でその存在があやふやなものを全て消していったら何が残るか」と考えた人である。例えば、今矢神の目の前にはパソコンがあるが、これが本当にパソコンなのか、そもそも目の前に何かあるのかということは誰にも証明出来ない。何故ならこれは矢神の幻であり、「何言っているんだ、そこにあるのはパソコンじゃないか」という誰かの声ですらも幻聴であるかもしれないからだ。そして矢神のこの身体も幻覚なのかもしれない。この世界も、宇宙も何もかも幻かもしれないのだ。
そうやって、"幻である可能性のあるもの"をデカルトは全て消して考えた。最後に残ったものは、「そうやって考えている自分自身の心(理性)」だと結論付けたわけだ。
……矢神には、それすらも幻ではないかと思える。そう考えることこそが何かの錯覚であり、何かの間違いであり、そもそもそこに心など存在しないのかもしれない。元々ここには何も存在しないのかもしれない。
実はこれ、矢神が小学生の頃からずっと考えていたことだ。誰が自分の存在を証明してくれるのだ、なんて。
だから今勉強したってそれは何かの錯覚なのだ、と思う。非常に近い考え方に、「死んでしまえば楽しかったことも苦しかったことも頑張ったことも怠けたことも全て等しく無になる」というものがある。どんな人生を送ろうが、死んでしまえば皆一緒だ。そう考えると、正直自分がこうして生きていることすらバカらしく思える。
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プロフィール
HN:
布乃伊奴
年齢:
35
HP:
性別:
男性
誕生日:
1990/05/14
職業:
生徒
趣味:
特になし
自己紹介:
三次元未確認人型無気力生命体。
他者の作品を嫌うことで、「自分オリジナル作品」を目指している……らしい。
小説等の作品を紹介されることを極端に嫌う。
それにより、時折機嫌を損ねて手近な紙を引き裂き続けることも。
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